第6回CBTセミナー~マインドフルネスのポイント7選~のレポートシェア

 第6回CBTセミナー~マインドフルネスのポイント7選~にご参加いただいた方々、ありがとうございました。このセミナーで行ったワークの感想をレポートとして提出していただきましたが、現在提出されているものの中からいくつかの感想を紹介して、皆さんとシェアしたいと思います。

【ワーク0 呼吸のマインドフルネス】

“自然に呼吸する”だけなのに、いざ意識を向けるとぎこちなくなった感覚がありました。そして、「あぁ、呼吸浅いな。いつもそうよな、焦りやすいし…」などと、すぐに評価している自分に気付きました。特に、自分の性格やできていない部分に意識・思考が飛びやすいなと思いました。それに気づいて、次に「呼吸はアンカーだ」という言葉に立ち返り、しばらくはこの言葉にもある意味とらわれていましたが、徐々に体の方に意識が根付くようになった感覚がありました。

呼吸に集中しようとすればするほど、何か別のこと(妻が受講している研修会の声)に気が飛んでいってしまうことがありました。気づいて戻すのですが、またすぐに別のこと(パソコンの音)に気が向いてしまいます。なかなか難しいなと感じました。

1つ気になったのですが、呼吸呼吸と思い続けることもそこにとらわれているように感じたのですが、どうなのでしょうか?

呼吸に意識を集中し続けようしましたが花粉症からくる呼吸のしづらさで意識がさまよう場面がありました。花粉症から連想して季節のことなど意識がそれそうな気配が出たため呼吸に意識を戻しできるだけマインドフルを維持できるよう努めました。ここで考えたのは、呼吸をしづらいというのは現実でしたが、それを花粉症でという注釈をつけてしまうことは思考や判断に含まれているのではないかという点です。五感ではなく理性でとらえてしまうとマインドフルから離れてしまうように感じました。

呼吸のマインドフルネスはクライエントに勧めていたため自分でもよく行っていた。そのため、心のさまようのが少なくなっていたり、さまよっていることにすぐ気づくことができたりしているのに気づいた。上達があるのだとよくわかったので、クライエントに自信をもって勧めやすくなった。

過去や未来にさまようというよりは、自分の周辺の刺激に反応したり、意識的に注意を向けるとついその流れでいろいろ考えたり、評価的なことをしてしまいやすい、ということに気づいた。

周囲の音にまず注意が向き、普段なら意識しないような微かな音にも気づくようになった。それにも慣れてくると思考が浮かんできた。単調なため、時間が長くなってくると注意が逸れる感じがした。

【ワーク1 レーズンエクササイズ】

普段、物を食べる時に、こんなに口や舌の筋肉を動かしているんだなと驚きました。いつもやってるはずの“食べる”という行動ですが、「体の中に栄養が入っていく」感覚がリアルに伝わり、毎日不思議な行動をしてるんだなぁと思いました。時間が経つと、ずっと口の中に物がある状態が不快に感じていることに気付きました。そういえば普段から、何事も「早く消化・処理したい」と思って急いでいたように思います。そういった自分の傾向にも気付くことができました。

レーズンが手元になかったため、チーズを使って実践してみたのですが、いつもは感じることのないとろける感覚やとろけたチーズが口の中に広がる感覚など、とても興味深い体験でした。心の位置についてはチーズに向けるように努力していましたが、どうしても周りの音にフッと持っていかれてしまう感じで“doing mode”と“being mode”を行ったり来たりしている感覚でした。

レーズンエクササイズ自体は以前にも体験したことがありましたが、過去の体験にとらわれず改めてあたかも初めて体験するかのように意識して取り組みました。唾液分泌など生理的反応は普段意識していない部分でした。また咀嚼なども意識しようとすると使用している筋肉部位が逆にこわばるような感覚があり興味深かったです。自動操縦状態での食事とマインドフルな食事の比較で興味深かったのは体感時間の変化でした。普段はニュースなどを見ながらのいわゆる「ながら」食事をしているのですが、食事の時間が早く過ぎ去るような感覚があります。一方でレーズンエクササイズでは逆に時間を長く感じ、注意集中による体感時間の変化を実感したような気がしました。

レーズンがなかったので、例に挙げてくださっていた白ご飯でやってみた。普段が早食いなので、変な感じというか、なれない感じだった。一つ一つの作業に時間をかけて、あえて踏みとどまっているようなもどかしいような感じ?完全に普段が自動操縦だったんだなと思った。

一口噛むごとに舌が動いて、口の中に散らばったレーズンの破片を上手にまとめて前歯に送っているのが分かりました。同時に味わっているのもすごいと思いました。

食べているときに、いかに食べることに専心できず、心あらずになっていることに気づいた。見ること、口に入れたときの口触り、舌触り、嚙み心地、味覚など豊かな世界に気付けずにいることに気づいた。

【ワーク2 思考(媒介知)と感覚(直接知)】

ちょうど今日も足の怠さを感じており、「自分の足=冷えやすく、むくみやすく、毎月必ず怠さを感じる時があり、思い通りにいかない部分、調子に関して振り回されやすい部分だ」と思いました。昔から無意識に足を組む癖もあり、「怠くて重いくせに実態に乏しく、頼りない存在」と認識していることに気付きました。しかし、直接足に意識を向けると、ふくらはぎに少し筋肉痛があることに気付きました。そういえば今日、久しぶりの休みで買い物に行き、いつもより歩いたことを思い出し、実態に乏しい足も、ちゃんと自分の意志で動かしており、当たり前ですがちゃんと機能していることに気付きました。足を組むのも、無意識だと思っていましたが、その前には必ず自分の意志があるんだなと思いました。

さらに注意深く意識を向けると、“足全体”の存在を鮮明に感じることができました。「足って、体の大部分を占めてる場所じゃないか。ここまで長さがあり、冷えやすいけど先まで感覚もあるし意識が行くものなんだ」と気付きました。そして不思議と、怠さをあまり感じなくなっていました。多少は違和感がありますが、ワークをする前ほど感じず、少し怠さについて過剰反応していたことに気付きました。

足について考えていた時は、骨折した時のことなど過去の出来事と結び付けたり、筋肉の解剖図のような知識的な要素と結び付けていました。体に意識を向けたときは実際に力を入れたり関節を稼働させたりすることに集中し、あまり思考していなかったように感じます。doing mode と being modeの違いのように思いました。

足について考えるとき、過去のことに心が向かいそこから過去の他の思考に向き始めていた。足という身体に注意を向けるときは、過去や未来にさまよいにくいことが印象的だった。

印象的な違いとしては、やはり「考える」ときは、心が今ここではないあちこちへいくということ、直接的に耳を傾けた場合は、今現在の「あし」に意識が向き、そこにとどまっている、ということだと思った。

ちょうど自傷行為などの衝動的な行為について悩んでいたところでした。様々な予防法があると思いますが、どのようなプロセスを経て自傷に至らずに済むのか、上手く説明できないこともあったので、体験の共有を通して衝動的な行為と意思との関係を説明できれば効果的に働きかけることができそうだと感じました。

【ワーク3 ストレッチ】

体を強めに伸ばした瞬間、一気に“今ここ”に意識が向いた感覚がありました。過去や未来について考えようとしたとしても、多分考えられないぐらい強く、“今”に目が向いている状態だと思いました。もし過去や未来について考えても、このストレッチの感覚が強烈なので、思考をよそに飛ばすのが面倒臭くなるというか、「もういい!今はこっち!」とか、少なくとも「あとで!」という感じになっただろうと思います。

痛みの不快感はありましたが、よく味わうと、痛みの他にピリピリと痺れるような感覚があることに気づき、さらに続けると、そのピリピリした感覚は、血が通っていく感覚に変化し、体全体が温まりました。「体ってやっぱり一つで繋がってるんだな。筋肉も、それぞれ案外長くて連なっているものなんだな」と感じました。

ストレッチに伴う身体感覚は十分にアンカーとなりました。一瞬仕事や将来のことなど頭をよぎる瞬間はありましたが、それにとらわれることはなく距離をとれたと思います。体を動かした際に各所に緊張や痛みを感じる部位がありましたが、敢えてそこに留まり無理がでない範囲で対応しました。

・ストレッチはアンカーになった。体を動かそうとし始めた地点で、「いまここ」に意識が向いたと思う。腕を伸ばすことで体が気持ちよく伸びて、固まった筋肉がほくされたように感じ、自然にそちらに注意が向いていた。

・未来や過去のイメージが戻ってきたときでも、動かしていると、すぐに「今ここ」に意識が向く。

・不快感は体験しなかったが、爽快感が強くて何度もストレッチを繰り返したいと思った。

ストレッチは基本気持ちいいので、不快感という感覚ではなかった。いた気持ちいい、というあたりで、「あいたたたた」となったら止める感じ、そして痛みを感じない範囲はどこだろうかと強弱をつけて加減して調整するような対応をしていた。動かして、身体に何か感じることで、ふわふわあちこち行きがちな意識が、確かにとどまり、戻ってくる感じはある。呼吸と違い、耳をすませて感じ取ろうと注意を向けなくても、もう少しダイレクトというか、半強制的というか、ストレッチのいた気持ちいい刺激がはっきりと意識に入ってきて、そちらを向きやすいしそこに意識をとどめやすい、という感じがした。

動かすことにより、筋の張りやゆるみなどを感じやすく、いまここの感じに気づき、とどまりやすかった。他方、運動の不得手さについての過去の考えがうかび、身体がこわばる不快感にあわてたが、そこに留まってみた。不快感に翻弄されない、という対処法もあると実感した。

【ワーク4 音と思考】

特に悩んでいることなどはなかったので、思考が大きく飛ぶことはありませんでしたが、周囲の音に目を向けて、また呼吸に戻ろうとした時に、なかなか戻ることができず、音にしがみつかれているような感覚で、切り替えがなかなかできないことに不快さを感じました。少しだけ眉間に力が入りかけたり、口元に力が入って、犬歯で口内を甘噛みしようとしていることに気付きました。呼吸→音への移動は簡単でしたが、音→呼吸が難しく、自分の他者志向性の表れのように感じて、少し嫌気が差していることに気付きました。しかし、そこで評価をせず、その嫌悪に対してある意味誠実に向き合ってみると、徐々に嫌悪に対する反応が分散したような、薄らいだ感覚があり、いつの間にか呼吸に自然に戻ることができていました。

不快な思考をしていた時の感覚部位は、眉間、あご、頭頂部の頭痛、胸痛でした。眉間は普段よりも眉をしかめている感覚、あごは奥歯を噛みしめるような力の入り方で、両方とも無意識的な筋肉の強張りとして感じ、意識することで和らげることは可能でした。頭痛と胸痛に関しては意識しても和らげることが難しかったです。

自己嫌悪の思考が浮かんでも、大きな影響を受けずにいられたことに、マインドフルネスの有効性を実感できた。

一旦不快な思考になると、次々にイメージが浮かんでくることに気づいた。過去の叱られた体験から、未来の不安まで次々に浮かんできた。音より呼吸に注意を向けるほうが、心の中に浮かんでくるイメージから離れることができたように感じた。胸が痛い感じがしたが、呼吸に注意を向けると、肩が上がっていて力が入っていて呼吸により力が抜けたことに気づいた。

・静座瞑想中、不快な感覚があったのは、胸、心臓周辺。

・断続的な音は自分の感覚に注意できず、妨げになった。

不快な思考や感情については、割とすぐにここ最近起きたことに基づいて思い浮かんでしまうが、みぞおちのあたりがぐっと力の入る感じ、固くなる感じ、胸のあたりが広範囲にもやーっとした感じが起き、より不快なポイントに来るとそのもやもやが強まり、わーっと広がる感じがあった。

呼吸がゆっくりに丁寧になる。音への注意は呼吸より心がさまよいやすくなり、思考だと、次々と思考が移っていく。呼吸に意識を戻すことで注意が向けやすくなる。

【ワーク5 プチ曝露】

繰り返すごとに、反応の程度は低減しており、嫌悪感がマシになっていることに気付きました。

先生のアドバイス通り、「ゴキブリ 大量」で画像を見ながらワークをしてみました。最初は眼をそむけたくなりましたが、私の場合は何だか違和感が頭にあるように感じたため、頭に息を流すイメージで行ってみました。すると、ある地点からそこまで不快を感じることが無くなったようにも感じました。なぜかは分かりませんが、そのような体験となり、驚いています。

テーマとしては「蓮コラ」を題材に検索して取り組みました。初期の見た部分では自覚できる嫌悪表情が出ていたと思います。画像を見続けることで全体から部分への注視の移動や、コラ画像としてみた場合の技術的な興味などで嫌悪以外のフィーリングを感じ取ることはできました。不快気分のみではないという体験につながった点に意味を感じました。

ゴキブリの画像を見ました。精神的健康度が高いという自覚の自分がこれほどまでに嫌悪があり、そのワークに取り組むこと事態に大きな抵抗を感じた。画像を開いても目を閉じてしまい、また目を開けることにひどく躊躇した。が、ワークなので実行しました。気持ち悪いという評価ではなく、ベッタベタの具体的事実をただ観察するようにしているとすこしだけではあるが、背中のゾゾゾという感覚が薄れた。

・直視できないようなひどいむし歯の映像を見て、吐き気がした。胸がつかえて、見るのがつらくて消したかったが、見続けるとだんだん目が慣れて、歯の様子をじっくり見たら、ただかわいそうな気になった。

ウジムシが大量に発生している写真を見た。気持ち悪いという感情が湧いてくるが、具体的にどんな形でどんなふうに集まっているのかじっくり眺める。小さな点が先端に二つ、等間隔に節のある細長い円柱形で黄身がかった身体、さまざまにくねって密集している様をただ、それとして頭の中で記述しながら眺める。すると、気持ち悪いという感情とは別にもう1人の自分がただそれとして冷静にウジムシの集合をみつめていた。

なんというワークをやるのか、と、すでに例をきいているだけで(G大量とか)、身体反応をしていたが、とにかく、あまり現実的な画像を検索することができず、以前映画でスカラベが大量に湧き出ているシーンを見て気持ち悪かったので、それならものは似てるけど現実のGとは違うし、と思い、それを検索してトライしてみた。それっぽい気持ち悪いものがいっぱい出てきて、それだけで身体反応以前に声が出るので、ワークとしてどうかわからないがやってみた。身体感覚としては、全身、主に背筋がぞわぞわして手に力が入って握りこむ、奥歯をかんで食いしばる、という感じ。じっとしていられないけどとりあえず目をそらさないということなので一応視線は向けてみる、虫の形のものがいっぱいでうわーっと思いながら一つ一つの形に注目してみる。全体をぼんやり見ているほうが「嫌だああああ!」という感覚に支配され、オートで拒絶してしまう感じだが、あえてとどまるんだと意識してひとつひとつに目を向けながら、感覚的なものに注意を向けるようにすると、その支配からちょっと逃れられる感じがした。嫌は嫌でも、その嫌ということが少し客観的になるというか。渦中から、隣へ移動した感じ。これにちかい感覚を暴露法では味わうのか・・・と思うと、やるほうもどれだけの負荷を強いているか、きちんとわかったうえで導入しなければならないと感じた。でも、嫌なものは嫌で、これじゃない方法があると聞けばそっちを選択したい自分もいる。

背中にぞわぞわ感、胸のあたりの不快感、おしりの辺りのむずむず感があったが、数分経つとこれらのような嫌悪感は弱まっていった。

【ワーク6 「~と考えている」、イメージの活用】

「〜と考えいる」と付けただけで、一気に客観性が増し、例え苦痛なことであっても、「対処可能なもの」と、冷静に思えるマインドに変わったように感じました。イメージやメタファーを使わずとも、これだけで過剰反応が緩和したように思います。私の場合、クライエントさんの悩みを聞いて、どんな対処方法があるか、どんな工夫ができるか、瞬時に思考を巡らす感覚と同じ感覚が訪れた印象です。イメージやメタファーも心強く、圧倒されていた対象が手の中に収まる程度のものに変化した感覚を得ることができました。

反芻している際は思考が負の循環に陥り落ち込み続けていくことが課題であると思われる。思考の後に「と私は考えている」という言葉を付け加えることで、思考の区切りを作りだし、注意を別に向けるきっかけとしやすくなると考えられました。イメージの方は私自身があまり得意でなく、実感できるほどには感じ取れませんでしたが、シアターで自分を映すことで自分の姿を第三者的視点から見ることがメタ認知的視点と重なることと考えています。

~と考えている、は使いやすい技法だと思う。自分自身はメタファーをよく使うためか、空や川に流すイメージは使いやすかった。しかし、職場のスタッフを相手に練習させてもらったときには、空のイメージはよく分からないとの感想をもらった。

「~と考えている」と思うことで、自分の思考と距離が取れたと感じました。イメージでは小川を流れる葉っぱに乗せるイメージを思い浮かべましたが、より距離を取れたように感じました。

・「3月中にしないといけないことがいっぱいだ」と焦り気味だったが、後に「と考えている」と言うことで、その後、「本当に?」という言葉が続いて出てきたので、すべきことを書き出して検証してみようとと思った。「と考えている」といった後、雲が流れていく映像を思い出浮かべる方法はイメージしやすかった。

きれい好きが行きすぎて若干潔癖症な私。

子どもたちが食事した後の床は食べこぼしだらけです。(中略)

まず、私は散らかった床を見て、「汚い」と考えています。「汚れていることは悪いこと」と考えています。

事実は、床に食べこぼしが落ちているだけの状態。それを、汚い、悪いことと、判断している意識を捉えました。

ここからイメージを発展させます。床の食べこぼしを汚いと捉えた私の思考をエアコンのフィルターとしてイメージします。ほこりだらけのフィルターをイメージし、ほこり=床の汚れを悪いこと捉えている思考、それに繋がる嫌悪感の感情として捉えます。そのほこりにシャワーをかけて、一気に流れてスッキリきれいになるようにイメージします。こうして、この思考が浄化されるイメージをします。これをすると、床が散らかっていることへのイライラ感、早くきれいにしないといけないという焦りが和らぎました。

「と考えた」ということで、頭の中の世界から今の現実に引き戻される感じが実感されました。ただ、私の場合は、イメージでする方がやりやすかったです。イメージを使うことで、「手放せた」というコントロール感を取り戻せた感じがします。

「~と考えている」とつけると、思考=自分という感覚が薄らぎ、心身ともに安楽さが感じられた。

思考をスクリーンに映し出されている映画と見たときに、思考内容、思考する自分を俯瞰され、こだわりがうすらいだ。

【ワーク7 MP法】

・Pleasure活動           

時間をたっぷり確保した上でピアノを弾く、カウンセリング(仕事)

甘いものを食べる(常備チョコ、ご褒美ドーナッツ)、パスタを食べる、料理、

歌う、買い物、漫画・アニメ、英語の勉強、たっぷり眠る

 ・Mastery活動

ピアノを弾く、カウンセリング(仕事)、人を笑かす、歌う、料理、

洗濯、掃除、簡単なストレッチ、買い物リスト制覇、英語の勉強

P活動は「ドラマをみる・お酒を飲む・家族で話す・家族で食事をする・旅行に行く・ゲームをする・本を読む・飼い犬と遊ぶ・ネットを見る・スポーツ観戦」でした。M活動は「仕事が終わる・片付けが終わる・ゲームのエンディングを見る・課題が終わる・論文の執筆が終わる・その日のやることが終わる・研修会が終わる・仕事場から帰宅する・デザートを食べる・寝る」でした。M活動の方が10個書き出すことが難しく感じました。しかし、書き出してみると意外とあるものだなと実感もしました。

Pleasure活動:①友人と遊ぶ、②甘いものを食べる、③一人カラオケに行く、④温泉に入る、⑤動物と遊ぶ、⑥動物動画を見る、⑦小説を読む、⑧ゲームをする、⑨動画を見る、⑩綺麗な風景を見る

Mastery活動:①運動をする、②スポーツジムに行く、③料理をする、④風呂掃除をする、⑤洗い物をする、⑥ゲームで良い結果を出す、⑦卸売り市場に行く、⑧研修を受ける、⑨勉強する、⑩調べ物をする

P活動:ビールを飲む、おいしいランチを食べる、お菓子を食べる、子どもと楽しく遊ぶ、子どもはかわいいなと思う、子ども達との会話、お気に入りのドラマを見る、お気に入りの漫画を読む、車で好きな音楽を聴く、ジムで運動する

M活動:研修をオンラインで受ける、勉強のための本を読む、YouTubeを見て、腹筋を鍛える体操をする、仕事でうまくいく、友達と情報交換、洗濯をする、洗濯物を干す、洗濯物を片付ける、ジムに通って運動をする、保育園にお迎えに行く、寝る

Pleasure活動:ガーデニング、ソーイングで服作り、録画したままの「相棒20」を見る、おしゃれしてデパートへ買い物、友達とカフェ巡り、好きな食器を使って料理を盛る、庭園巡り、美術館巡り、歴史的建築物めぐり、山歩き

Mastery活動:仕事、ソーイング、ビリーズブートキャンプ週5回、計画立ててそうじ、週1回のご馳走作り、英会話の練習、天守閣まで歩く、シャワーでなく入浴、丁寧に生活する、ピアノの練習

《プレジャー活動》

1アイスの実カフェオレ味をたべる

2コンビニのカフェオレを買って飲む

3好きなこと(アロマ、心理)の勉強をする

4好きなアロマの香りをかぐ

5和菓子をたべる

6サラダチキンをたべる

7バスソルトを入れた湯船につかる

8瞑想する

9ストレッチする

10切干し大根の煮物をたべる

《達成感のある活動》

1毎朝4時に起きる

2朝トイレ掃除をする

3朝玄関掃除をする

4朝リビング掃除をする

5朝ごはんの準備をする

6パンケーキをきれいに焼く

7コロコロで床のごみをきれいにする

8髪の毛の寝癖を直す、手入れをする

9ひとりで子ども3人をお風呂にいれる

10子どもたちを時間通りに保育園に登園させる

Pに関しては割にすらすらと書くことができ楽しい気持ちになった。Mに関しては家事などやるべきことや何かを全てこなす、完璧に済ませる、など自分自身の中の完全や万能を求める志向性を感じた。

京都大学でドイツ観念論哲学とその日本への影響を学ぶ。社会人経験後、認知行動療法の第一人者である井上和臣先生の指導を仰ぐために、鳴門教育大学大学院に進学。この頃からマインドフルネスの実践と研究を始める。 大学院修了後、長岡病院に入職。大阪経済大学・花園大学・立命館大学の非常勤講師、EAP研究所の客員研究員などを兼務。少年院へのマインドフルネス導入の助言も行っている。認知行動療法やマインドフルネスの研修をこれまで100回以上担当。 2020年1月に哲学心理研究所を開業。

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